重力から解放され、水中という三次元の世界に身を置く事で、より感性が磨かれ、人と人、また人と人以外の生物の間に、言葉を超えた伝達が可能になり、その結果、言葉に囚われずより大きく豊かな気持ちで、全ての物に心穏やかに接することが出来るのではないかというのが、僕がダイビングを続けている理由のひとつなのですが、潜り始めてはや十年、残念ながら未だに目先の些細なことに囚われる事が多く、理想と現実のギャップに苛まれることがしばしばあるのが事実です。
実はここ4、5日、
不眠症が続いております。特に原因は思い当たらず、それまではこの夏の忙しさも良いサイクルとして自分の体に馴染んでおり、その結果快眠が続いていただけに、今回の突然の出来事は全く理解不能で、それがまた余計に悪い方向へと考えてしまい、さらに眠れない状況へと陥ってしまっていました。まさに囚われた自分になってしまったのです。しかし、その原因が判明しました。いや、正確に言うと原因を自分なりに解明しました。
親になるという自覚ができていない僕は、生まれてくる子供からすれば、迷惑以外のなにものでもありません。僕自身もこのままではいけないとは思いつつ、
ダイビングを生涯の生業とする事が自分の生き方の全て、という図式から抜け出せないままでおりました。そんな時に今回の不眠症は、そういう考えだけではだめだ、人間として、一人の親として、それを含めたもっと大きな考えを持てという、生まれてくる息子からの、僕への自覚を促すメッセージかもしれないと思い始めていたのです。
そしてさらに、
出産に立ち会う機会を与えて、さらなる自覚を与えようと、たまたま休みの今日という日に、予定日より四日早く出てこようとした彼は、まだ言葉という伝達手段を持たない変わりに、自らの行動をもって、僕にそれを明確に伝えたかったのかもしれません。偶然と言ってしまえばそれまでですが、今回のこの一連の流れを振り返ると、母のお腹の中という、水中と同じような環境の中で過ごしてきた彼からの、言葉を超えた伝達であると考えたい僕がここにおりました。
2005年9月1日、息子の
倫太郎が、この世に誕生しました。
スポンサーサイト
テーマ:大切なこと - ジャンル:ライフ
- 2005/09/01(木) 11:29:00|
- ひとりごと
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0